いろいろあるけど、その中でも本棚が欲しい。

書斎とまでは贅沢なことは言わない。

以前ほどは本を読まなくなったとは言え、部屋のあちこちに本が積まれている状況をなんとかしたいと思っている(←するとは言ってない)のだが…。

今日買った本。

2014年9月19日 読書
『土漠の花』 月村了衛 著 幻冬舎。

愛読している『機龍警察』シリーズではないけど、あらすじ読んでみて面白そうだったので購入した。

なるべく一気に読みたいので休みが来るまで読まずに放置するつもり。
昨日のことだが、本を1冊購入した。

やや特異な警察小説で、あまりこのジャンルは読まないのだが、世界観や登場人物が気に入ってずっとシリーズを読んできた。本作で4作目だ。


今回は手違いがあって、初版での入手ができなかった。好きな作家の好きなシリーズだけにとても残念だ。

『マージナル・オペレーション05』芝村裕吏 著 星海社

『わが誇りの零戦』原田要 著 桜の花出版


感想は読了後にでも。
いくつかのサイトを閲覧して、共通点を見つけた。

参考にしたのは、漫画家や評論家の個人ブログだが、そこでの書き込みや関連性のあるTwitterに共通していた点から結論を述べる。

つまり、作品につくのが「読者」(ファン含む)、作者(人)につくのが「信者」というわけである。

私自身についても考えてみた。好きな小説家や漫画家は何人もいるが、その人の作品は全て読んでいて、作者についても知らないことはない、というのは無かった。

これが信者となると、その人が作品を出せば漏らさず個人のブログや批評(レビュー)サイトで手放しで絶賛する。もしそこに批判的な意見が挙がれば、徹底的に反論や作者の擁護をする。これには新規、既存の読者や作品を愛するファンはついていけない。

最初に述べた通りである。読者の先鋭化していった結果、宗教と言っても良い存在になってしまったのが、信者というわけである。



(終わり)
前回、読者が先鋭化していったものが信者で、それはもはや宗教だと述べた。

さて、宗教と言ってもその性格はいくつかある。

私はその道の専門家ではないが、宗教について持っているイメージを述べてみようと思う。

まず、宗教と言っても古の時代に大陸から伝わったものと近年新たに興ったものとではその性格は違う。

古の時代に大陸から日本に伝わった主なものが仏教である。ひとくちに仏教と言っても、浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗・・・とさまざまである。

これらの信者は門徒と呼ばれるのだが、さて彼らにとって第一は開祖である上人(聖人)だろうか、それとも教義(教え)だろうか?
私はこれと言って信じているものがないのでわからないが、これを小説や漫画の読者・信者にあてはめて考えてみたい。

私は本が好きで、気に入った作品があればサイトにレビューを投稿することもある。

多くの場合、その対象に対しの私の立場は「読者」または「ファン」である。

そのことについて考えてみた。

ヒエラルキー・・・ピラミッド型に上下関係を表したもので見ると、下層、つまり対象の見方の幅が広くて多数存在するのが「読者」である。そこから中層に段階が進んで「ファン」になる。この段階に到ると対象(作品)に対して否定的な見方をする者はだいぶ少なくなる。

そして、さらに上層に段階が進んだ存在が「信者」だと私は見ている。ここまで来ると、「信者」という言葉通り、もはや宗教である。

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索