さて、だいぶ本線から横道にそれてしまいました。

学校が嫌い・・というか、教師や学校の体質に疑問を感じ始めたのは、中学校に上がってからでした。

私が通ったのは、山奥にある小さな中学校でした。中学校生活で一番イヤだったのが、部活動の時間でした。加入は任意ということでしたが、実際は強制でした。生徒数の少ない学校だったので、部の種類は少なく、私が入りたいと思う部はありませんでした。(皮肉なことに、当時よりも生徒数が少なくなった現在、部の数は増えたと聞きました。その新しくできた部こそ、私が当時望んでいた部でした。)

教師に対して疑問を持ち始めたのは、上記の部活動のことがひとつです。良く言えば個性的、悪く言えば協調性のなかった私は部内では浮いた存在でした。耐え切れなくなって、担任に部活動の意義を尋ねたところ、返ってきたのは「根性をつけるため」 納得はできませんでした。

もうひとつは、ある一人の教師との一件からです。社会科担当だったこのA先生は、普段はどの生徒にも公平で、明るく楽しい授業をすることで人気の教師でした。A先生と私との間に問題が発生したのは、歴史見解の違いがはっきりした現代史に入ってからでした。当時、近所に勉強熱心な祖父が住んでいて、よく遊びに行っていました。

あるとき、いつものように祖父が私に「今、学校で何を勉強しているのか?」と尋ねてきました。私は「太平洋戦争を習っているよ。」と答えました。そのときの祖父の顔と言葉を今でもはっきり覚えています。苦虫を噛み潰したような顔で「太平洋戦争じゃない、大東亜戦争だ。」と吐き捨てるように言いました。

そうか、と思って、次の定期考査でちょうどその名称を問う設問があったので、私は迷うことなく祖父に教えてもらった通りに「大東亜戦争」と書きました。返ってきた答案用紙は件の箇所がグチャグチャになっていました。そのA先生は当然、「大東亜戦争」という名称を知っていたのでしょう。マルを書きかけて消してバツを書きかけてサンカク(一部減点)にして・・相当悩んだのが見て取れました(結局、サンカクでした)。A先生は誰も知らないような知識を持っている生徒には一目置くところがあったので、当時の私は悪いことをしたとは思いもせず、逆にその後明らかに私を避けるようになったのが不思議でした。今は分かります。A先生は・・・だったのだ、と。

以上のような理由で、クラスと部活とで浮いていた私には、中学校は居心地の悪い場所でした。

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