中学校で居場所がなかった私。

高校は、自分のことを知る者がほとんどいないところへ行こうと思って、家から遠い、海の近くにある高校を選びました。

山奥から海沿いへ。今思えば、極端にも程があります。

そんな理由で選んだ学校も理解しがたい不思議ルールがありました。

体育祭での応援団員を選ぶ際のルールに、「運動部員は立候補してはならない」というのがそれです。

文化部に所属するような生徒は運動や体育会系の活動が苦手なのが大多数と思います。それを避けて文化部を選んだのに、この仕打ち。唯一の例外は、写真部。自動的に撮影担当になるため。団は確か4つあって、それぞれだと、ものすごく倍率が低くなります。当選の確率、3割から4割。すべてかわしたものの、当たっていたらと思うと、ぞっとします。

まあ、これ以外では高校時代は悪くありませんでした。



あとがき。

こんな学生時代を送ってきた私がほんの一時とは言え教育界にいたのはおかしなことです。もう見切りをつけましたが、それでもその一時は教育界の改革を試みたのです。現場に絶望して逃げ出しましたが。



回想の過程でずいぶんと長年忘れていたいろいろなことを思い出しました。学生生活ではワーストが中学校時代で、次いで高校時代です。今でも、中学校時代の者たちとは交流がありません。高校時代の友人たちとは同窓会に参加するなどしてときどき会います。

今でもよく学校の夢を見ます。そのほとんどは悪夢です。この時期に失敗すると後々たいへんだね〜、と他人事のようなことを言って結びとします。

おわり。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索